MIND : 心の健康 カナコ日記

裏切りに遭う辛い体験。自分の学びの糧にする 

裏切りにあうと、ものすごく悲しいものですね。裏切りは大抵、親しい人が起こすものらしいです。だから余計にショックで悲しい。

私は2023年12月にひどい裏切りにあいました。

本人は裏切りとは思っていないかも・・・。それが余計に悲しかったです。

乗り越えるのに丸々3か月も要したことは恥ずかしいことかもしれませんが、内省、内観を続けたことで、多くを学びました。

人生における出来事や体験は、すべて、成長のための学び。

「このことは私に何を教えてくれているのだろう?」

そう問い続けるのが癖になっている私は、今回も、しつこく問い続けたのでした。

おかげで100個くらい、学びを見つけました。
そろそろ今回の悲しみに終止符を打てそうなんです。
そこで直近の学びを記事にすることで、自分の中で本当に終わりにすると同時に、シェアすることで、どなたかのお役に立てれば幸いと思い、書いてみました。

裏切りによる悲しみは人を大きく強くする

裏切りも悪くない、と、思えるまでになりました。

正確に言えば、裏切られる体験 ということ。

約4か月を要したけど・・・、こう思えるようになったのは、私が元気を回復してきた証拠だと、喜ぶことにしました。

裏切りによって、相手は、それまで猫を被っていた、本性を隠してきた、と、わかったからです。

表向き、ハイハイと言いながら、腹の中では強い不満を抱えていたのだと、知ることができたから。

このプロジェクトを、The End にすることができたから。

裏切った相手との関係、一緒に創ってきたプロジェクト、たくさんの仲間たち、たくさんのイベントと思い出、たくさんの苦労、たくさんのチャレンジ。

全部終わりました。

話し合いができなかったから、裏切りという事件によって、あっという間に終わった。

話し合うことができない、そういう器だったのだと、ようやく諦めがつきました。

人生を深めよう、前向きに生きようとする者ならば、その体験から学びをくみ取って、自己成長の糧にしていけばよいのです。

それができたとき、相手は、たとえ裏切り者でも、自分の人生テーマの師となるのです。

そう思えたとき、あなたの器は大きくなっています。

友人が泣きに来た

悲しい人は突然やってくる

私自身がひどく落ち込んでいた時は、信頼できる友人たちに相談をしまくりました。

「ねえ、助けて。私悲しくて立ち直れないの。」

友人たちは話を聞いてくれました。

わかってくれる人がいる。

それだけでずいぶん救われたものです。

2月、3月になり、私がだいぶ回復してきた時、今度は、心配してくれていた友人の一人が、強い悩みを抱えて連絡を取ってきました。

「元気ですか?」

それだけだったけど、短いチャットの文面から、ただ事でないと感じたので、すぐに会う手配をしました。

「今すぐ会いに来れる?」

1時間後、案の定、本人、ふらふらでやってきました。

私は会った途端に彼女を抱きしめました。

彼女の深い悲しみを感じたので、そのまま5分くらい、その場で抱きしめていました。

スーパーの地下のソファーがある広場だったから、人通り多かったけど、そんなこと構わない。

今この瞬間、悲しみと真摯に向き合っている魂がここに在る。

彼女はひたすら泣いていました。

「もっと泣きな。たくさん泣きな。」

先輩ママである私はそう言って、背中をさすりました。

何も聞かなくてもわかりました。

私自身が深い悲しみを味わったばかり、ということもあったから。

彼女は、何か限界に突き当たり、自分を責め、どうしようもなくて、誰にも言えなくて、誰にも会えなくて、なんとなく私に連絡をしてみた、とのことでした。

すぐに対応するようにしている

私のもとにはそういう連絡が時々来ます。

今は1か月に一人のペース。

会うときもあれば、電話もある。ズームもあれば、ライン顔出し通話もある。

「カナコさんに言えばなにかわかるかも・・・」

なんとなくそう思って連絡をしてみるのだそうです。

こういう時はだいたい4~6時間の対話になります。

でも、とても大切なこと。

人生の節目にいる場合がほとんどだから。

だからトイレも我慢して話し込むことがほとんどです。

電撃訪問したこともある

友人が、ある日の22時に、突然ラインを送ってきたこともあります。

「S君、連絡とれない!何とかなんない?」

私も少し経緯を聞いていたので、「S君やばいかも!」と思って24時に訪問してドアをどんどんしに行きました。

翌日も突撃訪問して「生きてる~~~?」とか言って、お部屋にあげてもらいました。

その後も、夜から明け方まで6時間話もしました。

翌日、倒れ込んでいる彼の部屋に突撃して、セッションをさせていただきました。

単なるお節介かもしれないけど、自分も苦しんできた体験があるから、ほおっておけなかったのです。

当日は突然のセッションに当惑しつつも、倒れ込んだままセッションを受けていた彼でしたが、後日メッセージが来ました。

「あの時はありがとう。おかげで生きている」

悲しみは話そう

人に話すことは、自分に話すこと。

心の中の思いや感情を言葉に変換して、整理すること、手放すこと。

安心できる環境で話すことは有効です。

私自身も、本当に参った日の二日後、2023年12月27日、信頼しているヒーラー仲間に会いに行きました。

骨折していたのでタクシーで突進です。

「聞いて!私、泣きたいの!」

ヒーラー仲間の先輩は助けてくれました。

その日のツールは太陽神RA(ラー)のエネルギーを下ろす True Trot (トゥルータロット)でした。

力強く前向きな太陽神ラー RA 。

タロットの間中ずっと、その空間にいてくれて、寄り添って励ましてくれているのを感じていました。

ひとしきり話が終わった後、ふと見上げた窓の外に、満月が光っていました。

それは本当に美しくて、神秘的な光に満ちた、力強い満月。

忘れられない光。

自分の中の何かが浄化されたことを実感しました。

泣くのは大事

自分の悲しみに向き合い、弱さ、悔しさ、恨み、いろんな感情があることを素直に認めればよいのです。

そこに、そういうものがあると知れば、片づけようもあろうというものです。

泣くのは弱虫ではない。

強いから、泣くことができる。

自分は悲しい!と、受け止めることができるから、泣くことができる。

だから、思いっきり泣くほうがよい。

かの中村天風氏にも、こんなエピソードがあると聞きました。

講演会の直前に奥様の訃報が届いた。天風は泣いた。講演の時間となった。羽織の袖で涙をふくと、二カッと笑顔を作って壇上に向かった。

これは私が人から聞いた話。

天風財団の方がこれを読んで間違い!と知ったら、教えてくださいね。

このエピソードを聞いていた私は真似をしました。

ある日、娘が突如、家出をしたときのことでした。

置手紙を1通残して。

私は泣きました。

20分間、思いっきり泣きました。

翌日からは泣くことはありませんでした。

娘は自立していったのだ。祝おう。自分の気持ちを応援へと切り替えることができました。

それでも人間社会で生きていくのが理(ことわり)

人によって生かされることもあれば、人によって殺されることもある

裏切られたり、自分の立場をないがしろにされたり、組織から外されたり、欠席裁判にかけられたり、私もいろんな体験をしてきました。

悪口、陰口、ねたみ、そねみ、いじわる、邪魔・・・。

人間の感情のネガティブには種類が多いですね。

私も裏切られたショックで、これらのネガティブ感情が心に渦巻くのを感じて、とても苦しみました。

それでも人の中で生きて行く。それが人間というもの。

他人を立てて、自分が謙虚に陰に回っていれば、いつか自分が人から生かされることもあるかもしれないが、なくても構わない。

その程度でよい。

人間とは、他人のために生きるものだから。

我が我がと言っているうちは幼稚な子どもの精神

子どもとは、自己の確立、完成を目指して、成長過程にある者。

大人とは、自己の完成をさせたのちに、世の為人の為に自分を役立てていく者。

これを、全体への帰納という。

人間である以上、いつまでも ”自分の都合” はまとわりつく。

しかし、社会人になれば、親になれば、そうも言っていられなくなる。

社会の役に立つ仕事をすることで収入を得て生活していける。

子どもを育てることで親業をさせてもらい、自己が成長する。

それが大人というもの。

大人とは、全体の都合(会社の事情、家庭事情)を知ったうえで、時には自分の我欲を横においてでも、全体のために働くことだ。

相手が会社であれ、子どもであれ、相手のために自分の都合を後回しにすることができるかどうか。

そのやり方が道にかなっているかどうか。

道にそぐわないやり方の一つが裏切りだ。

だから裏切るものの精神性は低い。

あなたが相手にする者ではない。

大人なら感謝を表現することが大事

さらに言えば、自分を育ててくれた存在への感謝を持ち、その思いを、他人にも表現することができるようにならないと、大人とは言えない。

現代では、黙って感謝していてもだめ。

ちゃんと言葉にして、人に伝えることが大事。

言葉は言霊(ことだま)だから。別の言い方をするなら呪文(じゅもん)。言葉にはエネルギーがあるのだ。

小人は小利口に偉そうなことを言う。

いかにも道理であるかのように。

大抵は利己的な観点から、ものを言っているだけなのだが。

口では偉そうなことを言ったところで 中身の精神性が幼児のままなので そのうち化けの皮が剥がれる。

人としての在り方が、天や宇宙の大義ではなく、自己の利益という小さなものに乗っかているから小人という。

器が小さいという。

器が小さいままでは、大きなものは入らない。本人も、周囲も発展しない。成長しない。

それは人間生命の理(ことわり)と言うもの。

易経の昔から書いてある。

悲しみを抱きしめて生きる

今こそ自分に言おう!

それでいいんだよ、

深い悲しみを乗り越えたところに喜びがある

深い悲しみを乗り越えた人にしか見えない境地がある

あなたは乗り越えた

ママ友が泣きに来てくれた

彼女は私の腕の中で泣くことができた

カナコが悲しみを知っているから、安心して泣くことができたのだ

だからカナコも泣いた

”悲しみを抱きしめて生きる” 

「超葉隠論」 執行草舟

悲しみと哀しみ

「悲しい」と「哀しい」は同じ意味ですが、一般的には

「悲しい」は主に自分自身の感情、

「哀しい」は他人への感情として多く使われます

「悲しい」の意味は、「心が痛み、辛く、切なくなり泣きたい気持ち」で、

「哀しい」は、「あわれで、悲しく、切なく、胸が詰まるような気持ち」となります。

円覚寺 横田管長 の記事より。

漢字「悲」の語源について、

「非」には羽が左右反対に開いたあり様が表され、両方に割れるという意味だそうです。

それが、「非」+「心」となって、心が裂けるということ、胸が裂けるような切ない感じが「悲しみ」の本義だというのです。

「哀」の語源については、

「哀」の字は、「口」と「衣」で成り立っていて、「口」を「衣」で上と下から挟んでいるのです。

そこから「衣」には包んで隠すという意味があり、

「口」+「衣」で思いを胸中に抑え、口を隠して悲嘆に暮れる様子を表すのだそうです。

橋本先生は、こう書かれていました。

「傷ついた人を目の前にすると、本人も傷を語れないし、

こちらもその人の心情を容易には言葉にできない。

そのため、われわれは口を衣服で覆いながら嘆くのである。」

徹底して問題を深堀し、学びを吸い尽くして捨てる

これがカナコの流儀。

今回は4か月もこねくり回し、途中で5日間、悪魔に心を乗っ取られた時もあり、本当に苦しかったです。

ヒーラー仲間にもすごく怒られました。

そんな心を持つなんて、自己管理がなってない!!! 自分を磨きなおせ!!!

と。

ヒーラー業は自分メンテナンスがとても大事なのです。

「しつこい!大概にせよ!」

これは昨日、私が守護神から怒られた言葉。

(コーヒーを淹れていたら突然やってきた💦)

大概にせよ(たいがいに せよ)とは、ほどほどにせよ、ということ。

「ここでやめる、ということも肝要ぞ」

そう言いながら、こんこんと諭された。

はい、すべてごもっとも。なるほど、おっしゃる通り。アドバイスありがとうございます。

昨日は、そうやって問題に終止符を打って寝ることにした。

問題が起こったのは12月初旬だったので、そこからカウントすると、もうすぐ4か月抱えていることになる。たしかに、しつこい。

上記に3か月と書いたのは、チームや顧客に対して、このプロジェクトは終了、と宣言したのが12月末だからだ。

裏切りにより終了なんて、とても言えなかったが、異常事態で終わることは誰の目にも明らかだった。

私の個人的な問題は、肝いりで育ててきたプロジェクトが、なんとまあ、パートナーの裏切りで終了という、最悪の結末を迎えたことと、同時に私自身が骨折して動けなくなったことだった。

自分の中でそこにケリをつけることができなくて、4か月もこのテーマをもみ続けたのでした。

裏切りで心の大黒柱がボキッと折れたところに骨折で肉体も傷ついた

それでも私はこの問題を手放すことができなかった。

体が思うようにならないから、頭でばかり考えていたともいえる。

骨折から回復し始めると、トレーニングを再開した。

体を動かすと、心も精神状態もしっかりしてくるのを実感した。

すると、また、問題の根本に立ち返り、内省・内観を繰り返した。

昨日の春分の日の記事も書いた通り、昨日で本当に決着をつけた。

新しいことを始めよう! 

そんな気持ちになった自分に驚いたのも昨日。

そして今日気づいた。

そのテーマに徹底的に向き合う。

人生のすべての経験・体験は、学びだから。

これが私の流儀。それでよい、と。

「このことは私に何を教えてくれているのだろう?」

私はこれを数か月でも考え、追求し続ける。

学びを搾り切った、と思ったら、捨てる。

これが私の流儀。

それでよい、と。

これには気力・体力とも必要。

だから、トレーニングを続ける。

今は、水泳、剣道、ランニングだ。

このような人生追求者のカナコです。

人生について、生きる意味について、今の問題について、話をしてみたい、という方はご連絡ください。

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人生どん底だった主婦が50代で最も自分らしい“本番の人生”を始められた理由とは?



「50代、あとは親の介護…人生こんなものなのか…」
あなたは今、そんな風に思っていませんか?

心から楽しんだり、喜びがなくなっているとしたら
あなたは自分自身を生きていないと言えるでしょう。

少し前までの私がまさにそうでした。


4人の子育てにダブルワークで忙殺されトラブル続き。
常に怒っていた人生でした。
当然に限界がきて倒れ、8年間も寝込みました。

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この記事を書いた人

KANACO:ヘルスコンサルタント/形而上学講師/スピリチュアルヒーラー/歴史3000年の開運秘儀DNAアクティベーション施術者

カナコ
ヘルスコンサルタント / 形而上学講師 / スピリチュアルヒーラー

10歳からなぜ生きるのか?を追求。4人の子育てしながら20年の会社員生活、東日本大震災による関連倒産を経て、心を失い40年間も引きずっていた「鬱」を手放すことに成功。
還暦前に多くの方の要請に応えるためライフコーチを開始。 人生を前進させたい50代女性の伴走者として走り続けている。

3000年の歴史ある開運秘儀「DNAアクティベーション®」施術者。

  • この記事を書いた人

kanaco

人間の本質はスピリットという光。 スピリットが宇宙から地球にやってきて肉体に宿り "人間として生きることの意味" をお伝えしているスピリチュアルヒーラー。 「あなたの内側の光を見つけて自分らしく生きるには」を共に見つけるガイド。法華経修行歴30年。会社勤め20年。自営業20年。4人の子育て完了。HP制作運営、レストラン開業運営、イベント企画運営、地域サークルオンライン集客。出家せず在家を選択。目標は覚醒者1万人。 お問い合わせはこちら 友だち追加